ER《人権・ハンセン病》第1・2学年合同 沢知恵さん講演会

 1月29日(水)、体育館にて1、2学年を対象に行われた沢知恵さんの講演会を取材しました。この会は1年生の実行委員会によって準備、運営がなされました。


 沢知恵さんは神奈川県出身で、牧師のご両親と共に日本、韓国、アメリカ合衆国に移り住みながら音楽に親しみ、東京藝術大学在学中にプロデビューされたシンガーソングライターです。2014年に岡山に移住、18年に岡山大学大学院に入学され、19年度に附属中において教育実習を行い、パワフルで楽しい授業が生徒から大人気だったそうです。


 講演では、先生のルーツである英語、日本語、韓国語でアメイジンググレイスを歌ってくださいました。続いて、ハンセン病国立療養所大島青松園とご自身との関わりを語られました。


 ハンセン病とは、皮膚と末梢神経を病変させる感染症で、発病すると赤い斑紋が出て、進行すると皮膚感覚がなくなる、手足が曲がる、失明するなどの症状が現れます。1942年にプロミンという治療薬が開発され、その後100%治癒することが可能となりました。もともと感染力も弱く、遺伝病でもありません。現在の日本で感染する確率はほとんどないと言っていいそうです。


 しかし、1907年療養所への隔離が始まり、1929年「無らい県運動」、1931年「癩予防法」によって、患者を見つけ出し強制的に隔離するという政策が取られました。10〜20歳代の発病が多く、青年期の若者たちが「お召し列車」に乗せられ、全国の療養所に入所させられました。療養所は鉄条網で仕切られ、入所に際しては消毒風呂に入れられたり、差別を怖れて改名させられたりしたそうです。治療薬ができ、不治の病ではなくなってからも患者に対し断種や堕胎が行われました。戦後にできた新しい法律でも隔離政策が継続されたため偏見は解消されず、患者の家族も結婚差別などに苦しんだとのことです。


 沢先生のお父様は、学生時代にハンセン病の療養所のうちの唯一の離島である香川県の大島青松園で研修を行い、1971年の夏、生後6ヶ月の知恵さんを連れて療養所を再訪しました。出迎えた元患者さんたちは治癒から10年以上経っているのにも関わらず、赤ちゃんに触れることを恐れて初めは手を出すことができなかったそうです。その後、成人した沢先生が青松園を再び訪れた時、元患者さんたちは20年前のことをはっきり覚えていて、大歓迎してくれたそうです。


 1996年、ようやくらい予防法と優生保護法が廃止され、その後熊本、東京、岡山で国家賠償請求訴訟が起こされ、2001年熊本地裁で患者・元患者さんの勝訴が確定し、国は謝罪しました。


 沢先生は2001年から毎年大島青松園でコンサートを行っています。元患者さんたちと共に必ず歌うのが『ふるさと』。この曲を作曲した岡野貞一は『春の小川』や『朧月夜』などたくさんの名曲を作っていますがもとは岡山の教会でオルガンを習ったそうです。

 

 沢先生は講演でハンセン病回復者で大島青松園に入所していた詩人、塔和子さんの詩『胸の泉に』『証』『涙』『関わらなければ』『選ぶ』を紹介してくださいました。そして最後の質疑応答とお礼の言葉を省略して、詩の余韻を味わい、一人一人講演の内容を静かに振り返る時間を取ってくださいました。


 沢先生から生徒たちへのメッセージは「生きることは感謝すること」「まず、療養所に行ってみて」「周りに伝えて」「ハンセン病について話題にしてほしい」ということ。アフガニスタンで銃撃を受けて亡くなった中村哲医師は元々パキスタンやアフガニスタンでハンセン病の治療をしていたそうです。


 ハンセン病療養所を負の遺産として保存し、差別と偏見のない未来に繋げるという取り組みもあります。大島青松園の丘の上の教会では、毎月最後の日曜日に礼拝があり、沢先生もたいていいらっしゃるとのことです。


 岡山にも長島愛生園、邑久光明園と2ヶ所の療養所があります。来年度の開催は未定ですが、見学のクルージングツアーも毎年人気です。愛生園では入所者と市民の交流の場を目指したおしゃれなカフェも常設されていてランチがいただけるそうです。ぜひご家族で訪れてみてはいかがでしょうか。





岡山大学教育学部

附属中学校​PTA

© 2018 岡山大学教育学部附属中学校PTA